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自伝 訪問看護物語   夫が膵臓癌を発病

 夫が45歳になった時です。「腰が痛い」と訴えるようになりました。日本高等学校教職員の書記長として東京に単身赴任をして2年目になっていました。

あと1年頑張れば教職の職場復帰ができると楽しみにしていたのです。 

腰痛治療のため総合病院の整形外科病棟へ入院したと連絡がありました。

「痛みが楽になった。すぐ退院できると思う」という電話があって間もなく「血液検査の結果いろいろ検査をするそうだ」と不安そうな電話があり、私も胸騒ぎがしました。

そしてすぐ病院に来るようにと連絡があり車で上京し病院に駆けつけました。

主治医から全身のCTの写真を見せられ説明を受けました。

それは絶望的な写真でした。すい臓の尾部に丸い癌が出来ていて肝臓のあちこちに転移をしていました。すい臓の尾部のボール大の癌が脊椎を圧迫していて腰痛を起こしていたのでした。まさかの油断でした。

打つ手がなにもないことを理解した私はすぐ飯田に連れて帰る決心をしました。

車の助手席に夫を乗せて中央高速道を飯田に向かいました。

すい臓がんは診断がつくと同時に末期がんで余命2か月と言われています。

悪夢をみているようでした。夫に涙を見せられない。辛い帰路でした。当時は癌の告知はしないことが一般的でした。ましては末期がんの告知はできるわけがありません。「すこし長引く病気だから飯田の病院で治療しましょう」と夫には話ました。

夫は大好きな飯田に帰ってきて喜んでいましたがすぐに激しい腹痛と食事か喉を通らなくなってきました。

二日ほど自宅で過ごしましたが私が総婦長を務めている健和会病院の個室に入院させてもらいました。

私は有給休暇をいただき夫に付きそうことにしました。

急激にいろんな症状が出始めました。食べれられないので点滴を始めましたがお腹が張ってくるので点滴を拒否するのです。

脱水で血液が濃くなっていました。そして左半身麻痺の脳梗塞を起こしました。いや、脳に癌の転移を起こしていたのかもしれません。

でもこれは神様の贈り物だったかもしれません。膵臓癌は左上腹部に激しい痛みを起こすのですがその痛みが消えていたのです。

そして、少し客観的に物事を判断する能力が衰えていました。

半身麻痺で歩くことが出来ないのに「電話です」と連絡が入ると「俺が出る」といって起き上がろうとするのです。

当時は携帯電話などありません。全国の高等学校教職組合の方々からひっきりなしに電話がかかってくるのでした。

そのたびに看護婦の詰め所の電話に駆けつけるのでした。

やがて余命一ヶ月などとの話が広がって組み合いの役員の先生方や地元の教員のお見舞いが押し寄せるようになりました。

遠方から来てくださった方に夫と話しも出来すお茶の一つも出せない病室の療養生活に困りました。

私は夫の最後を自宅で過ごしてもらう決心をしました。幸い私は看護師だし、自宅は病院から歩いて5分の所で毎日の往診も可能でした。主治医もその選択に賛成してくれました。

夫は病気が軽快してきているので退院できるのだと思ったらしく大喜びでした。

そして、入院生活2週間を経て自宅での療養生活に移って行きました。

 

 

 

 

 

 

| 今村 洋子 | - | 16:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
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