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自伝 訪問看護師物語 いつも頭によぎる人が訪問看護の道へ

 私はなにかの折りにふっと頭によぎる人がいる。

彼を思い出すと深い後悔にさいなまれるのだ。

私は32歳の若さで24床の消化器外科の病院の看護師長になった。

昭和48年12月に開業した田島病院。院長が外科医の腕が評判で胃潰瘍・胃がん・大腸がんなどの手術患者でいつも満床だった。

 

伊坪さんは開業2年後に入院してきた。彼は70歳で胃がんの診断がついたが受診したときはすでに肝臓や腹膜に転移をしており、すぐ入院となった。がんの痛みの対応が必要になっていた。麻薬の注射を一日4回ほど打って後は水分補給の点滴をするだけの入院生活であった。

戦前彼と妻は小学校の教師だったが長野県教師の赤狩りにあい仕事を失い小さな山村で新聞配達の仕事で生活してきた。

夫婦で力を合わせ困難な時期を乗りきり、地域の様々な活動を先頭切って行ってきて皆に信用され愛されていた。

知性溢れる夫妻を私も心から尊敬していた。

その彼が時々訪室する私に「婦長さん 一生のお願いです。私を自宅へ返してください。痛みも我慢します。すぐ死んでもかまいません。なんとか退院させてください。家に帰りたいのです」と訴えてくるのである。

婦長の立場だったら何とかしてもらえるのでは彼は考えているようだった。

しかし、昭和50年当時は麻薬は筋肉注射しか方法がなかった。妻も痛みがおきたときの不安から自宅へ連れて帰るとは言えなかったのだ。

予想より永い入院生活になった。悲しそうな顔で訴えていた彼に一日でも良いからどうして家へ帰してあげることが出来なかったのかと深い後悔に胸が締め付けられるのだ。私には当時は在宅医療や在宅死などは想像もできなかったのだ。

病院で親切な看護と適切な医療を提供して最後を送ってもらうことが最善の方法と疑うこともなかった。

彼の顔が頭によぎるようになったのは、私の夫が45歳ですい臓がんで他界してからだ。

 

 いろいろな条件がそろい夫は終末を自宅で2カ月ほど過ごし自宅で多くの人々に見守られながら亡くなった。

その在宅ターミナル、在宅死の経験は私の考えを根本から考えなおせざるをえなかった。

42歳で3人の娘のシングルマザーになった私は深い悲しみの中で夫に良い死に方をさせることが出来たとどこかに心安らぐ思いを持つことができた。

その時、伊坪さんのあの終末を自宅で過ごしたい思いが痛いほど理解できた。

時々彼の悲しみに満ちた顔を思い出すようになった。

 そして、私はある決心をした。在宅で過ごす病人の看護を提供する仕事に就くことが私の目標になった。

 

 

 

 

 

 

| 今村 洋子 | 小説 | 13:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
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