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ただいまーいろいろ考えさせられた有意義な船旅でした 

   ペリカンに求愛されちゃった私ーナミビアにて

 3月5日、105日間の船旅を終えて日本に帰ってきました。
時々ブログを覗いてくださった方々ありがとうございました。
南アフリカや南アメリカの国々を訪ねてきました。

もちろん私にとっては初めての国ばかり。国の様子は足を一歩入れてみないとわからないものですね。
国境線を越えたらガラッと様子が変わるのです。
南アフリカは聞いたこともない名前の国ばかり。なんと50カ国以上あるのですね。
好奇心旺盛な私はもっと若かったらアフリカの全部の国を訪ねてみたいと思ったものです。
残念ですがそれは不可能。

南アメリカはどの国にも日本人が住んでいて日系社会を作っているのですね。
ブラジルだけと思っていましたのでびっくり。
本当に知らないことばかりで新しいことを知って自分の残り少ない人生に何をするべきか考えさせられました。

この船旅は「ピース・ボート」つまり平和の船ということで平和に関するあらゆるテーマで講演やイベントがあります。
日本の戦後70年を迎えるにあたり、ガタルカナル島と硫黄島(この島は一般人は上陸出来ないので船は島の回りを迂回した)に訪問。本当に衝撃でした。こんな遠くてなにもない小さな島で大勢の青年が死ななくてはならなかったなんて。こんな戦争を起こした人々に怒り心頭でした。

さて、船の中の生活はとても楽しいものでした。絶対に日本にいてはお会いすることのない人々と3か月も生活を一緒にするのですから。お会いした人たちから素晴らしい生き方を沢山学びました。

そんな船の生活も合わせて少しずつ報告させていただきます。
気の向いたときの気まぐれ報告なってしまいますがお暇な時に訪ねてください。


 
| 今村 洋子 | - | 15:04 | comments(6) | trackbacks(0) |
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コメント
洋子さん、おかえりなさい!!
ご無事でほんとうに良かった(^−^)
日本から出ない私から見ると、洋子さん自身が未知デス 笑
旅行記楽しみにしています。
気の向いたときに書いてくださいね

お葉書ありがとうございました
長野の空気と一緒にこちらに届きました
| yasuko | 2015/03/13 7:55 AM |
突然「ピース・ボート」に関係のないメッセージを書いて申し訳ございません。

台湾映画「KANO」はご覧になりましたか。叔父さまの川原信男さんも出ています。

私は今、当時の野球部員について調べております。つきましては、私がときどき記事を書いている「映画「KANO」ファンクラブ(非公式)」に今村様の2010年7月のブログのダイジェストを転載してもよろしいでしょうか。

また、川原信男選手の写真がありましたら、是非拝見したいと思っております。

よろしくお願いいたします。
| gorou yamada | 2015/03/14 4:52 PM |
YAMADAさま
びっくりいたしました。叔父のことを書いた私のブログへどうしてたどり着いたのでしょうか。「KANO」は3か月も海外旅行中でしたのでまだ見ていません。田舎ですから映画館で上映されるがわかりませんがもうDVDが出ているようなので購入して早速見たいと思います。
私のブログの転載はどうぞなさってください。写真は大阪に住む叔父ー信夫叔父の弟のところにいくらかあるようですがそちらの情報はご存じでしょうか?

またどうして映画のファンクラブなど作られたのでしょうか?
信夫叔父が戦死などしなければ日本で野球で活躍したり私とも交流ができたに違いないと思うと無念です。
| 今村 洋子 | 2015/03/15 3:53 PM |
台湾の女性がこのブログの「川原信男叔父さん」の部分を中国語訳したのをたまたま見つけ、ここにたどり着きました。

フェイスブックで「KANO」のファンクラブを作ったのは私ではありません。私はただ書きこんでいるだけです。

最初は映画について書いていただけでしたが、台湾人選手の「その後」が分かっているのに対して、日本人選手の「その後」が、映画のパンフレットに書いてある以上は分かりませんでしたので、調べている次第です。

今夜はもう遅いので、また後日続きを書きます。
お休みなさい。
| gorou yamada | 2015/03/18 12:20 AM |
「川原信男叔父さん」は『臺灣總督府及所屬官署職員&#37636;』昭和11年(1936)1月1日版のP142に初めて名前が載ります。營林所嘉義出張所に勤めていて、「官職名」は「雇」、月給は「月37」とのこと。

1936年1月1日現在で營林所嘉義出張所に勤めていたとすると就職したのは前年の1935年でしょう。

最後の記載は昭和十九年(1944)1月1日版のP229で、臺南州嘉義林務出張所で「雇」。給料は「月80」です。

上記の資料はここ(http://who.ith.sinica.edu.tw/mpView.action)の左上のボックスに「川原信男」と入力すれば、すぐ出てきます。


ここで質問があります。

叔父さまは、多分1935年の3月に嘉義農林を卒業したと思いますが、それは正しいでしょうか。
もし卒業が1934年の3月だとしたら、就職までの1年間は何をしていたのでしょうか。
投手の呉明捷は早稲田に進学し、その他の台湾人選手も何人かは本土(日本)の学校に進学していたことは分かっています。
叔父さまも本土の学校に進学されたのでしょうか。



また、叔父さまは陸軍に徴兵されたのでしょうか。それとも海軍でしょうか。
フィリピンのどちらで戦死されたのでしょうか。

それは、「戦死」なのでしょうか、「戦病死」なのでしょうか。当時フィリピンではマラリアに罹患する兵士が多かったと聞いています。



上の「台湾総督府」の『職員録』を見つける前に、今月台湾の嘉義市に行った方が Facebookの「映画「KANO」ファンクラブ(非公式)」に現地のガイドから聞いた話を書き込みました。
その方はガイドに「野球選手は目がいいから、(福島、川原両選手は)飛行兵に持っていかれた」と聞いたのだそうです。

それで戦死者について調べたら、1942年5月の珊瑚海海戦(フィリピンではなくオーストラリア北東です)で空母「瑞鶴」に乗った「川原信男二飛曹(二等飛行兵曹)」の戦死の事実を発見しました。

私は上の総督府の『職員録』を「発見」してからは、珊瑚海海戦で戦死した「川原信男」は、同姓同名の他人だと思っていますが、今村様はいかが思われますか。


面識もない今村様に、いきなり不躾は質問をし、申し訳なく思っております。差し支えない範囲でお知らせ頂ければと思います。
| gorou yamada | 2015/03/22 11:15 AM |
上記、文字化けした『臺灣總督府及所屬官署職員&#37636;』は『台湾総督府 及 所属官署 職員録』です。
| gorou yamada | 2015/03/22 11:19 AM |
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