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自分史87  長野県訪問看護ステーション連絡協議会の初代会長に
  

   小笠原諸島船旅に行ってましたー父島の中心

 平成4年に発足した訪問看護ステーション制度。平成7年には長野県に100カ所を超えるステーションが開設して活動が活発になってきていました。
長野県からの指導も入って「長野県訪問看護ステーション連絡協議会」を結成する準備を始めました。
すでにあちこちの県では発足して研修会などを行っていました。やがて全国の組織に統一して、制度の改正を国に要望する組織としても重要な組織になりました。

私が発足準備会の代表になり、長野県の4つのブロック(北信 中信 東信 南信)から2カ所のステーションから管理者を準備委員として出してもらい会議を持って準備を進めました。
平成8年2月に発足総会が開かれその総会で私が初代会長に選出されました。
2年間を1期として私は2期務めました。

連絡協議会の活動は会報を発行し、研修会、ブロック毎の交流会などを行ってきました。
この組織活動によって長野県の訪問看護の情報交換も活発になり質の向上に役に立ったと思います。

この組織の代表を2期務めたことで私は色々な体験をすることになりました。
一番思いで深いのは国の参議院厚生委員会に参考意見を聞きたいと会合に呼ばれたことです。
それは「介護保険制度」の方向性を決めていくとても大事な会合でした。
先に私は意見発表する内容を文章で提出させられました。
介護保険制度発足以前は本当に改善が必要とされる問題が山積していました。
私は「訪問看護の仕事を通して見える在宅療養者の実態と問題点」という題で実情と10項目にわたる問題提起をしました。

一番問題提起したのは、当時あまりにも介護が必要な高齢者に対して介護サービスが量も種類も少ないということでした。
訪問看護の重要性も訴えました。
当時、大きな床ずれができからようやく訪問看護を依頼してくることが一般的でした。
もっと早く利用してほしい。予防ができるものが予防できていない。
また、住宅改修や福祉用具の重要性、医療が介入する重要性、などなと。

そして、要望として
(欷韻△辰堂雜遒覆靴砲覆蕕未茲Δ
認定に認知症の配慮を
D秉蠧声圓貿枸犬
ぜ蠡海の煩雑を避け介護の提供が遅れないように
ゥ吋◆璽廛薀鷓鄒機関に看護師の配置を

この会議で議論になったことがありました。
それは社民党や共産党議員の方たちが提案していた「公的介護サービスを利用しないで家族だけて介護している介護者に現金給付をする」という主張でした。
それは私は絶対反対だと意見をしました。

訪問看護の仕事をはじめて家族介護の大変さと素人の介護で必要な内容の介護を受けられないでいて悲惨な状態で我慢している要介護者をたくさん見ていたからです。

もし、お金がほしくて十分な介護ができないのに公的介護を受けさせない介護者も出てくるかもしれません。
そんなことを訴えました。それで現金給付は取りやめになったのだと思います。

また、長野県医師会の常任委員会からも在宅療養について意見交換をしたいとのお誘いを受けました。
医師会の先生方とお知り合いになり色々な意見を交わしてお互いが理解しあえたことはとてもうれしいことでした。

ずーと後になってからですが「長野県看護師養成に関するあり方検討委員会」の委員にも選ばれました。
それは県立の学校で保健師と看護師を養成している学校の在り方の方向性を決める委員会でした。
この委員のお一人にあの有名な諏訪中央病院の蒲田 實先生がいらっしゃいました。
いろいろとお話しができてうれしかったです。




| 今村 洋子 | - | 12:50 | comments(3) | trackbacks(0) |
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コメント
今村さん、こん○〇は。
ここの記事を読むたびに思うのですが、昔のことをきちんと時系列に書いておいでのことです。日記、手帖、メモ帳などを取り出して記事を作っておいででしょうか。

自分はコンピュータソフトを仕事にしているときは、内容を日本語で紙に書いて残していました。「お前は自分で作ったものを忘れるのか」と言われましたが、その通りでした。しかし、何年間も、何千、何万行も覚えられる訳ありませんね。先輩たちの頭はどうなっているのか不思議でした。
その後、説明書を紙に書くのが普通になりました。
今村さんは、そういう仕事と違うのですから、どうして思い出されるのかなと考えました。
| 福山のO | 2013/03/29 12:17 AM |
 福山のОさま
訪問ありがとうございます。
ずぼらな私です。
日記など残していませんでした。でも自分で書いた論文などを取ってありそんなものを引っ張りだしたり、亡くなった母が地方新聞に私のことが載ったものを大事に切り抜いて一冊のファイルにしてくれていたので、そんなものを見て書いています。母親はありがたいものですね。

ただ自分で立ち上げて仕事をしてきた訪問看護ステーションの14年間のことはいまだに昨日のことのように鮮烈に思い出します。
私にとってはまるであっという間でした。
この14年間があったので今もいろんな仕事が舞い込んで来て喜んで良いのか、もう気楽になりたいのでちょっと困っています。

今年はヘルパー講座を14講座も引き受けてしまいました。
トホホー。
| 今村 洋子 | 2013/03/29 7:07 PM |
ふ〜! 聞けば聞くほど、まさに時代の最先端!
訪問看護の制度の先頭を歩いていらしたんですね。
連絡協議会はここ埼玉にももちろんあります。
諸事情あって、まだ入会していないんです。
今年は前向きに考えます(><)

鎌田先生ともお仕事されているんですね。
講演会に行き、諏訪中央病院には屋上のガーデンを見に
出かけたこともあります。

>ヘルパー講座を14講座・・・とは、洋子さん凄い!
洋子さんの実力を持ってはなかなかゆっくりはできませんね
お身体に気をつけてください!
| yasuko | 2013/04/07 2:09 PM |
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