
母は、86才でもうじきこの世を去ろうとしています。
一人娘の私と暮らすようになって、17年目です。高校を卒業してずっと離れて暮らしていたので、母が本当はどんな人なのか意外に知らなかったのです。
私には3人の娘がいます。娘たちが、私に対して甘えたり、好きなことを言ったり、時に口争いをしたりするのを見て
「いいなぁ。お母さんに甘えたり、勝手なことを言ったりできて、羨ましい。私は物心ついた時には母親は病気がちで、小さな弟たちが3人もいて、絶対に甘えられなかった。一度も口応えしなかったし、ものを頼んだりもできなかった。母に何かしてもらった覚えは何もないねぇ」
幾度となくそのことを口にするのです。子供の頃の経験が性質をつくるのでしょうか。
人に何かを頼んだり、自分の望みを表に出すことがなく、何でも自分でやり通す、気丈で我慢強い人でした。
少し、身体が不自由になっても、決して私に迷惑をかけようとしませんでした。
それでいて、後で愚痴をこぼすのです。
「そうして欲しかったら、そういえば言いのに!」私は声を荒げ、可愛くない母と思うのでした。
時には、「どうせ良くはならないのだし、人さまに迷惑をかけてまで生きていたくない、早く死にたい」と悲観的になることもありました。
2年前、肝硬変がすすんで少しボーとしていたとき、ベッドの柵をつかみそこなってお尻をつき、大腿骨を骨折しました。手術をして約2カ月ちかい入院をしました。退院間じかになって「認知症」を発病したのです。
私にとっては晴天の霹靂でした。看護の仕事を通して、どんな人にも認知症は起こりうることを身にしみているのにもかかわらず、いざ肉親がなると、「このしっかりものの母にかぎって」と大変な衝撃だったのです。
退院してからの一時期は夜中に車椅子に乗って外に出て行こうとしたり、目が離せず辛い思いをしました。すぐに服薬治療を開始して、一月もすると認知症がほとんど治癒したかのように穏やかになりました。
でも、性質は一変していました。
食事に対して「冷たい」、「辛い」、「甘い」といちいち文句をつけます。
ついていてくれるヘルパーさんに、腰や足をさすってもらい、しっかり甘えているのです。認知症発病前には決して見られない母の態度でした。
病気に対しても「いつか良くなるよね。我慢、我慢」などと言い、希望を持つようになりました。時々おかしなことを言い、ヘルパーさんにとても可愛いがってもらう母になりました。
母の病室に笑いが起こり、和やかな日々が流れています。
私は救われました。「認知症」に感謝したい気持ちになりました。
母は子供の頃得られなかったものを今取り戻して、この世にお別れをしようとしているのだと思います。
ケースから学ぶ
神経内科専門のF医師は、あちこちの講演で「認知症は神さまの贈り物だ」という話をなさっていました。
死に対する恐怖や周囲に対する気兼ねなどがなくなる老後であれば、それはやはり神さまの贈り物と言えるかも知れません。
「認知症」については、まだまだ人に知られたくない病気だと思われる方が多く見られます。また「認知症」とは認めたくないご家族の気持ちが、服薬治療の開始を遅らせたり、介護対応を間違えて、かえって病気を悪化させているケースも見かけます。
「認知症」は誰もがかかる、明日はわが身の病気です。啓蒙活動も盛んになり、世間でもずいぶん理解がすすんできました。ちょっとおかしいなと思ったら一刻も早く専門家に相談しましょう。
地域に
「呆け老人をかかえる家族の会」(〜現在名称変更を検討中〜)の組織があれば、親身に相談に乗ってくださいます。
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