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ピースボート報告ーアムステルダムにて自由行動
 

スペインを後にして、ドーバー海峡を渡り私たちの船はオランダのアムステルダムに着きました。
ドーバー海峡は両岸が見えます。イギリス側とフランス側の岸です。
ふーん。この海峡を泳いで渡った方たちがいたんだ。
フランス側の岸はノルマンデーです。ふーん。あの岸に大勢の兵隊さんが上陸してノルマンディー大作戦を行ったんだ。
ドーバー海峡は様々な歴史を刻んできたのです。この海峡を通ることはもう二度とないことでしょう。とても感動しました。

 さて、オランダです。事前にオランダについて色々なお話を伺いました。
一部のドラッグと売春が国の法律で許可されているとのこと。
そうだ、オランダは安楽死も法律で許可されている国なのだ。オランダって何でもありの国?なんでそんなに寛容なのかしら。
売春は「飾り窓街」地域で女の人を買えるとのこと。本当に飾り窓から女の人が顔をだしているそうです。昔の吉原と同じなのですね。

オランダは海よりも陸が低い国です。地球温暖化で国が沈んでしまうのではと心配になります。そんな事情からでしょうか、オランダはまたエコ最先端の国でもあるとか。

 私は「アムステルダム運河クルーズ」というツアーを申し込んでいました。
親しくなった友人が自由行動だといろんなところに行けるから、ご一緒しましょうとさそってくださいました。それでツアーはキャンセルして友人のお誘いに甘えさせてもらいました。
彼女は若いころスイスに留学していたとのことで、英語とドイツ語が話せます。
彼女のお陰でいろんなところに行けて、とても充実した観光になりました。感謝 感謝。

最初に行ったのは電車に乗って北へ15キロのところの風車のある村です。
ザーゼン・スカンス観光村です。ここはツアーにも入っていました。
まず、駅でキップを買ってもらいました。
ところが改札がありません。駅に着いたらまたそこも改札どころか駅もありません。
「なに?あんなに苦労してキップを買ったのに。切符なくても乗れたね」
友人はふに落ちないといった顔をしています。
この村の風車小屋は観光のためにわざわざ風車を廻しているのです。
ただ、風車小屋に入って、二階に上がってみるだけで、2.5ユーロの入場料を取られました。日本円で約500円くらいでしょうか。
その日はピースボートの船の仲間だけしか見かけませんでした。

 その村にはお土産屋さんや「パンケーキ」を食べさせてくれるレストランがあってのんびりとビールを飲んだりパンケーキを食べたりして楽しみました。
お店の周りには水路があちこちにあります。その水路にアヒルが何匹も泳いでいます。
草原には放し飼いのヤギや羊がいます。
水路はコンクリートで固められているところはひとつもありません。
昔見たことがある水草が水の上を覆っていて、アヒルが水草の下をつついてなにやらを食べていました。
何処を見ても自然大事にしています。なんか懐かしい日本の田舎にいるようで、生き返るようでした。

街の中心街に戻ってきました。帰りはキップを買いませんでした。というより買うところもなかった。

 同行の女性がどうしても「アンネフラクンの家」と「ゴッホ美術館」へ行きたいとの希望でまず「ゴッホ美術館」に行きました。凄い人の波。船仲間にも合いました。
ゴッホはオランダ人です。
こんなに沢山の絵をオランダに残したのですね。沢山あるとさすがありがたみがありません。「ひまわり」の絵を見て出てきました。
いつかゴッホの絵がオプションで何億円かで落札したことを思い出しました。
一体この絵をみんな売ると何億円になるのかな?

さて、アンネフランクの家に行く前に、例のスイス留学の婦人が「ムール貝」を食べたいといって、バスでレストラン街に行き、レストランに入りました。
一人分の注文で小さい鍋に沢山のムール貝が入った料理が出てきました。
スープで煮てありました。
えっ。これが本当のムール貝?
そのおいしいこと。日本ではスパゲティに二三個乗っているムール貝しか食べたことがありません。硬くておいしいと思ったことがありませんでした。
ワインを飲みながら食べました。ワインととてもよく合います。夢中で食べました。これだけは又是非食べたいなあ。

夕方になり少し雨がふりだしました。タクシーで「アンネフランクの家」にいくことにしました。小さなマンションです。入り口から見学希望者がずーと列を作って待っています。しかも雨に降られてもみんな並んでいます。どこの国の人たちでしょうか?
ざーと100人くらいの人です。
とても並ぶ気はしませんというより帰船時間に間に会いません。
残念ながら諦めました
アンネの家へはいけませんでしたが、とても充実した一日でした。

 この日、日本から自転車を持って乗船していた方が、「ゴッホ美術館」の前の柵にしっかりとくくりつけておいていた自転車を盗まれたことを後でお聞きました。
彼は「気をつけようがない盗難ではないか」と怒り心頭の様子。
本当に日本では考えられないほど、何処でも盗難が日常化していました。




| イマムラ ヨウコ | ピースボート便り | 12:12 | comments(2) | trackbacks(0) |
ピースボート報告ーイタリア編

シシリア島のエトナ山

 7月14日朝、イタリアのシシリア島のカターニア港につきました。あの度々噴火を起こす有名なエトナ山か私たちを迎えてくれました。うっすらと白煙が昇っています。富士山を小さくしたような美しい山です。
私は船を下りて、飛行機やバスを使いローマ、フィレンチェ、ベネチア、ミラノの世界遺産を観光するツアーに行ってきました。一度は訪ねたかったイタリアです。
胸がわくわくします。ツアー仲間は何日か前は76人と言っていましたが、出発したのは60人でした。船の中では大変風邪がはやっていて、キャンセルがあったようです。ツアーに参加した人の中にも咳をしている人がいました。
60人が二班に別れて、ツアー仲間とツアーリーダーが決まりました。私の班のツアーリーダーはWさん。ハンサムな30才前後の落ち着いた青年です。
ツアー仲間はこれから6日間ご一緒する大事な仲間です。かなりお年の方もいます。
バスでカターニア航空へ。その日は土曜日。カターニア飛行場は大勢の人の波。
いつこの列が動くかわかりません。立ったまま待ちました。出発時間は12時40分でしたが、結局飛行機が出たのは14時近くになっていました。
ローマ空港について一路ローマ市内に向かいます。ホテルに着きました。


ローマ時代の要塞
なんとホテルの目の前に道路を隔ててローマ時代の要塞があるのです。その要塞がとても街にマッチして素敵な雰囲気です。
ホテルでチェックインをすますと、すぐレストランに向かいました。カンツォーネを聴きながらの夕食です。


フルート、ギター、ソプラノ歌手の3人でカンツォーネを聞かせてくれました。
とても上手。お料理もおいしい。私たちも乗りに乗って、リクエストしたり、一緒に歌ったりしました。ウキウキしていつまでも聴いていたかった。しかし、高齢の方はかなりお疲れのようでした。
イタリアの第一夜、皆大いに満足しました。
うーん。これは素敵な旅になると思ったのですが、実はこのツアー仲間、その後それぞれが大変な思いをすることになるのです。


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| イマムラ ヨウコ | ピースボート便り | 13:17 | comments(2) | trackbacks(0) |
ピースボート報告ーギリシャ観光

 ギリシャのピレウスという都市の港に船は付きました。もちろん首都アテネ観光のツアーに参加しました。古代ロマンの国。胸がわくわくします。
アテネまではバスで1時間ほどです。
1100万人の人口の約40パーセント近い人がこの2つの都市に集中しているとか。ピレウスからバスでアテネに向いました。
夏休みの観光客もいてか、車があちこち渋滞。でも車は中古車のようなぼろ車は走っていません。
美しい町並みにうっとり。街路樹が沢山植えられています。
みたことのる葉っぱだとおもっていたら、なんと太い桑の木が青々と立ち並んでいます。「昔は絹の生産地でした。」とガイドさんの話。ふーん。桑の木も街路樹として活躍できるのだと感心しました。あちこちに鉢植えの花々が咲き乱れています。渋滞も全然気になりません。バスの窓の外は見飽きません。

アテネに入るとあちこちにヘレクレスの時代にほとんどが作られたという、大理石で出来た巨大神殿の柱を目にすることが出来ます。柱は幾つもの大理石をつないで立てられていますが、ズレているものはありません。あんな大きな柱が地震で落ちてきたらどうなるのかしらと心配になりましたが、ギリシャは地震なんてないのかしら?


さてあの有名なアクロポリスの丘につきました。まあ、凄い人の波です。ガイドさんを見失いそうになります。広い大理石の階段ですが、足元をよく見ていないと滑りそうになります。とにかく人の波にのって歩くよりありません。ゆっくり鑑賞しているより、はぐれないようにしないとバスにおいていかれると大変。
坂道の近くの柱をちょっと触ってみました。ひんやりとした大理石。年数がたつと白い大理石もうす茶色になるそうです。と、近くで補修工事をしていたギリシャ人に触ってはいけないと叱られてしまいました。
そうか、パルテノン神殿の近くまでは人がいけません。遠くから眺めるようになっているだけです。
これだけ多くの観光客が柱を触ったらいくらなんでも傷むよね。
この神殿が紀元前に造られたなんて。凄い。
さて、方向音痴の私。なんとか時間どおりバスにたどり着きましたが、何人かの仲間が道に迷ってバスの帰ってきません。というのも、丘に登る同じような道が何本もあるのです。きっとその道を間違えたようです。

 さて、お昼はツアーでセットしてくれてあるギリシャ料理です。ギリシャやローマはお昼は2時間くらいかけて食べるとか。1時間30分が食事時間です。「そんなに時間いらないよね」とツアー仲間のつぶやき。
まず前菜が出てきました。中くらいのお皿に山盛り。旅行者の方が「くれぐれも前菜を全部召し上がらないようにしてください。でないと後が食べられません」と注意してくれました。なにやらひき肉団子にヨーグルトがかかったのやら、色々山盛りです。すこし、塩味が強くてそんなに食べられませんでした。期待はずれのギリシャ料理でした。

最後に世界のニュースでもよく出てくる「オリンピック競技場」に行きました。広い、広い。ここでも観光客が一杯。2004年にここでオリンピックが行われたのだ。
船に戻るとき、ガイドさんに質問しました。
「あのエーゲ海には幾つの島があって、無人島は幾つありますか?」
「2000の島があります。そのうち200の島が無人島です。日本の皆さん是非、島を買ってください。でも、水がなくて困っています。雨水をためて使うのです。」
とのこと。

ツアーが終わり船に戻って、まだ出航まで時間があるので夜のピレウス市内を散策しました。夜風が気持ちよく、露店で売っていたソフトクリームをほお張って散歩を楽しみました。安全な町とのことで、あちこちでピースボートの仲間が散歩をたのしんでいました。
もっとゆっくりした日程でまた訪れたい国でした。

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| イマムラ ヨウコ | ピースボート便り | 22:16 | comments(0) | trackbacks(3) |
ピースボート報告ーミコノス島 見ちゃったヌーディストたち


 7月11日の朝、いよいよヨーロッパへ入ったのだ。
あの白い家で有名なミコノス島。
東南アジヤと中東地域とは打って変わって清潔で豊かな雰囲気になる。しかし、物価はいっきに5倍くらいになる。
1ユーロが160円を超えているとか。ビールが1ドルで飲めた東南アジヤから6ユーロ。120円から900円(うーん。でも平気でビールをのんだのだ)。

 海が美しいのが有名だがどう美しいかというと、海の色は本当に真っ青、海の底や海岸や砂浜に塵ひとつ落ちていない。これってどういうこと?
観光客はわんさといるのに、ゴミがひとつないとは。
でもとても気持ちよい。ゴミが一つもないから、ゴミを捨てる人がいないのか、地元の人の努力なのか?


さて、バスで公営の海水浴場まで運んでもらい、それからボートに乗って民間の海水浴場にみんなでわいわい言いながら行きました。
だって、ヌーディストさんたちがいて真っ裸で砂浜で寝そべっているので有名な海水浴場とか。
まあ、いました。おっぱい丸出しの若い女性。平気で日光浴しています。綺麗な身体です。
そんなにいやらしい感じはありません。
海はちょっと水が冷たいので永く入っていられません。でも、潜ってみると魚がいました。熱帯魚ではないのですが、かなり色のある綺麗な魚もいました。こんなところで孫たちとのんびり過ごせたら最高と思いました。
帰りのボートの船着場で私たちの中高年の仲間が1時間も前に並び始めました。
船着場の職員が顔を真っ赤にして「まだ早いから」と時計を見せて追い払おうとしますが、並んでいます。ひとりの人が笑いながら「日本人は並ぶことが好きだからなあ」といっていました。
帰りのボートの中で男の人が立派なふりちんの男の人を見たと笑っていました。
残念。私も見たかったなあ。

| イマムラ ヨウコ | ピースボート便り | 12:58 | comments(1) | trackbacks(2) |
ピースボート報告ーエジプト編 ピラミットをついに見た

 ーカイロ市内から見るピラミットー
 なんと、ボートサイドからエジプトの首都カイロまでバスで3時間走りましたが、その間一度も止まりませんでした。信号機などないのでした。
スエズ運河走行中、船の上から見た道路でした。いくつかの交差点では軍隊が待ち構えていて、他の車を止めて、私たちのバスを優先して通してくれるのでした。

 広い砂漠の土地には変わりありません。バスの窓から見る光景はヨルダンよりは緑がありますが、あまり豊かな土地には見えませんでした。
道路沿いに工場だったのか何かの施設だったのかわかりませんが、廃墟になっている建物を何度も目にしました。たぶん、壊して立て直すより、他の土地に新しいものを建てているのだと思います。街路灯などは見かけません。夜はさぞ暗い道路にちがいありません。時々、工場があり、若い男性をみました。時々スイカを路上で売っていました。ときどき、農園もありました。
さて、カイロ市内にはいるとすぐピラミットが見えました。「わー」とみんなの歓声。
でも、ピラミット観光はお預けで先にエジプト国立博物館の見学です。

ー博物館の前でー
 まあ、人の多いこと。博物館の中はごった返しています。今夏休みに入っていて世界各国から観光客が訪れているとのこと。
人の波でガイドさんの声が聞こえません。
ガイドさんは生粋のエジプト人なのに日本語の上手なこと。声を張り上げて汗をかきながら説明してくださいます。
「この中の一番の見ものはツタンカーメンの展示物です。なぜなら、一度も墓泥棒にあってない墓の発見でした。18才でなくなった若い王様の墓に備えられていた全ての物が展示されています。どうぞ、お楽しみください。」
まあ、楽しむというより、その見事な金をふんだんに使った美しい装飾品にただただ呆れるばかり。そして、こうして、エジプトの博物館にまとまって全てが見れることに感謝、感謝。

 その後、希望者だけ入場料を払って見学した、「ミイラ館」。
有名な王様とお后さまがほとんどです。
再び肉体に魂が帰ってくると信じられて、丁寧にミイラにしたのですね。
そのあまりに見事なミイラの保存状態に一人の老婦人は気分が悪くなったといっていました。ほんとうに皮膚の状態や髪の毛の状態が観察できるミイラもありました。

さて、ピラミット。船の乗客のひとりの中年男性は「子供のころ本と写真をみて憧れていた。50年の念願が叶い、感無量です。」とおっしゃっていました。
私も同じ気持ち。ほんとうに、死ぬ前に一度見てみたいと思っていたので、やっと見ることが出来ました。
まあ、本当に信じられません。一つの石が私の背丈ほどあるのですから。その石を230万個使ってあるというピラミット。
ガイドさんの話です。
「いままでは、このピラミットは奴隷を使って創られたとの説が信じられていました。
しかし、何年か前に貴重な発見がありました。ピラミット建設に携わったひとの報酬がかかれている記録が見つかりました。そして、このピラミットの周囲に発見された建設に携わったと見られる人の骨を調べなおしたら、半数が女性であることがわかった。子供の骨も見つかった。奴隷だったら家族をもたされなかったから、これはエジプト人の失業対策の大型公共事業だったとの説に替わっています。」とのこと。その話は聞いていた。
やはり、奴隷の虐待で創られたと思ってみるのよりうれしい。
エジプトの先人は後生の人に本当に素敵な贈り物を残したのですね。
それにしても、暑い。


 ピラミットから次のピラミット、スフィンクスへとはとても遠くて歩いてなどいけません。駱駝が輸送手段として活躍していましたが、私たちはバスに乗って移動。3つのピラミットが美しく見える丘で写真を撮り、スフィンクスのところへ行きました。
ガイドさんが教えてくれました。

 「スフィンクスの鼻と足を破壊したのはナポレオンと言われていましたが、そうではありません。イスラム教のひとたちの物の崇拝を反対する人たちでした。」
そうだったのか。あのアフガニスタンのバーミヤン渓谷の石仏破壊と同じなのだ。
足の部分は再生されていました。そのデカイこと。
自由時間を与えられても暑くてそうそうにいられるのもではありません。バス乗り場の近くの木陰でバスを待つことにしました。

8歳だという女の子が上手に「わん、つう、すりー。」と絵葉書を10枚数えて「ワンダラー」で買えとせがむのです。1ドルを上げて買いました。
似たような顔の子が近くにいました。「シスター?」と聞くとそうだといってニコニコしています。写真を撮らせてもらいました。ニコニコ笑ってポーズをとってくれました。
しかし、その後お金をくれとせがまれました。まあ、ここでもすれた子供の児童労働です。
もう、子供の働く姿は見たくありません。
まだまだ、エジプトは発展途上国なのでしょうか。カイロ市内もゴミだらけ。余り綺麗ではありません。でも2年前に訪れたという婦人は「ずいぶんよくなったわよ」と教えてくれました。
中東戦争やテロなどもうおきて欲しくありません。お年寄りや子供が一番被害を受けるのですから。
これからはヨーロッパにはいります。物価が急に高くなります。1ユーロが160円とのこと。もう、お土産物はあまり買えませんが、「ワンダラー、ワンダラー」としつこいおねだりには疲れましたので、それがないと思うとほっとします。
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| イマムラ ヨウコ | ピースボート便り | 14:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
ピースボー便りー一日かけてスエズ運河を渡る
スエズ運河

 パールバックの「大地」を読み上げ、司馬遼太郎の「坂の上の雲」に読書が入りました。
明治維新、武士出身の若者たちが国作りに力を注ぐ話なのですね。
明治維新の時、西洋文明から400年も遅れていて大急ぎで西洋を真似して追いつこうとしている日本の青年たち。
その日本が世界中の国から「猿まねの国」とバカにされ相手にされなかったとの話が出てきます。
その頃、すでにフランスとエジプトが協力してこのスエズ運河を作り始めていたとのですね。
利権をめぐって世界の紛争のたねになったこのスエズ運河。
スエズ運河が通れない時もあったのに、こうして平和にスエズ運河を渡れる幸せをかみしめました。
時速12キロで走り約1日かけて通ります。一方通行です。途中広くなった湖で反対走行の船とすれ違いをしました。
一度イスラエルに占領された、シナイ半島側は全く何もなく、ただ砂漠です。一方、エジプトカイロ側は緑も豊かで色々な施設や住宅も見られます。大きな道路には車も行きかっています。海辺近くには鉄道も通っていて時々貨物列車が通ります。約1キロくらいの間隔で軍隊の監視所があり、兵隊さんが銃を空に向けています。私たちにはヨルダンと同じフレンドリーに手を振ってくれています。
ピースボートの乗客はみんな、カメラを手に看板の手すりにもたれて両岸を交互に飽きず眺めています。あちこちでシャッターを切る音がします。
私も飽きることがなく眺めながら、スエズ運河の建設に思いがいきます。なんと150万人の人手をかけ、12万人の死者を出して完成したとのこと。
水先案内人として船に乗られた池上彰さんが「そうだったのか、スエズ運河」の題で話をしてくれました。
いつか、テレビのプロジェクトXでこのスエズ運河で大型船を通すため底を深くする工事を日本企業が請け負い、とても苦労して成功した話を見ました。
そして、このスエズ運河にただ一つかかっている橋も日本企業が建設したとのこと。
その橋の素晴らしいこと。ちょうど横浜のリンボーブリッジのように美しい橋です。橋の真ん中にエジプトと日本の国旗がはめ込まれていました。
この運河が出来た時には日本という国は世界でどこも知られていなかったに違いありません。
池上さんは「日本だけです。アラブ諸国に何も悪いことしていないのは。それどころか橋をかけたり、経済的援助をしています。」
そうだったのか。彼らがフレンドリーなのは。
「坂の上の雲」を読み始めただけに、私にとってちょっぴり日本が誇らしく、感無量です。
140年後に日本がどの国にも出来ない高いレベルの技術を持つようになり、世界の国から尊敬されるようになるなんて、当時の維新青年たちは思いもよらなかったに違いありません。夜中になり、眠っていたら朝エジプトの港、ポートサイドについていました。



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| イマムラ ヨウコ | ピースボート便り | 00:41 | comments(0) | trackbacks(1) |
「ピースボード便り」−ヨルダン観光
砂漠での駱駝と子供
    ーヨルダンの砂漠の中で出会った駱駝の一群ー 
 まあ、ヨルダンという国はなんという国でしょう。たとえヨルダンの王様のお后になってくれと言われてもお断り。
だって、国土のほとんどが砂漠と岩山の国でした。
景色を楽しむドライブが大好きな私。バスの移動を楽しみにしていました。二日間でヨルダンの国の2つの観光地、ぺトラ遺跡と死海を訪れるため、国のほとんどをバスでかけめぐったのですが、バスから見る景色は行けども、行けども砂漠と岩山でした。

 それでも、なにか面白いものはないかしらと、窓の外を目を凝らし眺めていました。
ありました。時々、べトウィンの遊牧民の一行を見かけました。ヤギを50頭近く追いながら歩いている家族を見かけました。近くにはぼろテントを張っています。
まあ、こんな砂漠でヤギの餌があるのかしら?
彼らの水や食事はどうしているのかしら?
ヨルダンの政府は彼らをなんとかしてあげたらいいのにとつぎから次に心配になります。
一度だけ、50頭ほどのらくだの集団を見かけました。バスの中の歓声でバスが親切に止まってくれました。皆一斉にバスから降りて、写真を撮ります。
駱駝を飼育しているのでしょうか?
可愛い駱駝の親子が何組もいます。近寄って写真を撮ろうとすると、「親駱駝はナーバスになっているから危険です。近寄らないように」と注意されてしまいました。なんとこの駱駝を見守っているのは10才くらいの男の子ひとりだけでした。

その他、一定の間隔で軍隊の監視所がありました。必ず一人の兵士が機関銃を空に向けています。死海の向こう側はイスラエルとレバノンの国です。でも緊張感はなさそう。私たちのバスに向ってフレンドリーに手を振ってくれます。

 ヨルダンは日本の約四分の一の面積とか。人口は600万人。国土の割には人口が少ない理由がわかりました。こんな砂漠ばかりの国、人が住めません。水不足も大変なようです。そんな中、180万人ものパレスチナ難民を受け入れているそうです。もうイスラエルを追われて50年以上たっていて、二世三世が生まれてヨルダン国民になっているそうです。
イスラエル・パレスチナ問題で船の上でヨルダン人のモハメットさんからいろいろお話を伺いました。ヨルダンはパレスチナ難民の人たちにはヨルダン国民と同じ権利を与え、差別は一切していないそうです。
パレスチナ人〔パレスチナ人という人種はいないそうです。パレスチナに住んでいた人々のことでほとんどがアラブ人とのこと。知らなかったなあ。〕は技術と知識でヨルダンに経済効果をもたらしてくれているとのことです。
また、ヨルダンは石油も他の資源もなく、唯一死海から取れるミネラルを輸出していて、後は観光が収入源だそうです。西洋諸国の観光客の確保には、政治的配慮は欠かせないのでしょう。
世襲制の王様。王様の舵取りは大変。あっちに向いたり、こっちに向いたり。お気の毒としか言いようがありません。最近はイラクが内戦状態でイラクのお金持ちや知識人が首都アンマンに逃げ込んでいて、彼らが買う高級マンションが飛ぶように売れているそうです。そのため物価があがっているそうです。
岩盤のペトロ遺跡の大きな柱にしがみついてる私
ー大きな神殿の柱にしがみついている私ー 

 さて、ペトラ遺跡には感嘆しました。どうしてこんな岩とサバクばかりの地域に紀元前6世紀も前からこんな素晴らしい文明が栄えていたのでしょう?
馬車が通るほどの岩の割れ目を1時間ほど歩いて行くと、突然巨大な神殿が表れます。まわりは円形劇場や様々な古代遺跡が残っています。まあ、その素晴らしいこと。アラビアナイトの世界に紛れ込んだ気分です。こんな所に都市を作ったのは敵からの攻撃を守るためだとか。たしかに、破壊されずこうして残ったのですからね。こんな所に古代都市を作った先人に感謝したい気持ちです。
^@so

 これらを見て歩く観光客のために駱駝やロバ、馬車が活躍していました。
ロバはほとんど男の子が引いています。うーん。ここも児童労働だ。
ガイドさんからロバは大体3ドルくらいと聞いていたのですが、「テンダーラ、テンダーラ」10ドルと言って乗れというしつこい子供のロバに「まあ、いいか。日本円で1200円だもの。」と思い乗せてもらいました。
彼は8才でした。うれしそうにロバの名前や自分の名前を教えてくれます。ところが下りる時に「ロバにチップを」とねだるのです。
「ノー、テンダーラも上げたのよ」と断るとあっさり諦めました。全く、しっかりしているというのかすれているというのか。

 ベトナムからこっち、ずーとお土産でも何でも値段があってなきが如く。
インドで素敵な孔雀の羽で出来た団扇を「20ドルで」といわれたのを値切って10ドルで購入して得意になっていたら、「それ、2ドルで売っていたよ」と教えてくれた人がいました。もう、まったく、そんなこと黙っていて欲しいよね。
死海5
 さて、死海のすぐ側にある五つ星の「マリリン」というホテルに泊まりました。
お金持ちのアラブ人やアメリカ人(ヨーロッパの人?)で大賑わいです。
ここは別世界でした。庭は緑の木々や美しい花が咲き乱れ、プールが3つもあります。
白人やお金持ちのアラブ人の子供たちがキャーキャーいって泳いでいます。
食事は30種類くらいの大皿の上の料理を好きなだけ食べ放題。
欲張ってあれもこれもとって、お皿が大山を作ってしまいました。「さすが五つ星ね。」皆の満足そうな顔。
私は「そうね。」と同調しながら、居心地が悪い。駱駝を追っていた子やロバをひいていた痩せた男の子の顔が浮かびます。
 
 死海での浮遊体験。しました。しました。37パーセントの塩分の湖。簡単に浮きます。ところが立ち上がろうとすると浮力が強いため上手くいきません。顔を水につけ目をぬらすと大変なことになると聞いていましたので焦りました。
みっともなくバタバタさせてようやく立ち上がりました。ためしにちょっと塩水をなめてみました。わー。塩辛いというよりとても苦い。岸辺の石には1センチくらいの塩が覆っています。この死海の浮遊体験をするために全世界から観光客が来るのです。
死海の周りには同じようなホテルが幾つもありました。

 帰りのバスの中でヨルダン人のガイドさんに聞いて安心しました。
「べトウィンの遊牧民はあの生活が好きで政府の干渉を喜ばない。水は地下水からの湧き水のある所を彼らは知っている。心配ない。」とのこと。

「ああ、楽しかった。」と脳天気に船に戻ったら、イエメンで私たちが訪ねた次の日にスペイン人の旅行客が自爆テロに会い、10人近い人が亡くなったとのニュースが入りました。
しかも、イエメンでは情報が入っていて、軍隊がスペインの旅行者を警備していたとのことです。一瞬、「やっぱり中東は怖い」と顔が真っ青になりました。
ヨルダンではホテルに入るにも厳重な荷物チェックがありました。あちこちに軍隊がいて監視していて私たちの安全を守ってくださったのだと気がつきました。
うーん。世界旅行も命がけです。次はスエズ運河を渡って憧れのエジプト。キザのピラミットです。お楽しみに。
| イマムラ ヨウコ | ピースボート便り | 16:46 | comments(2) | trackbacks(0) |
船の中色々なイベントが始まりましたーフルーツパーティー6月21日
 
 訪れたベトナムの農家の庭やマレーシアの農家の庭にはバナナの木やパパイアの木があり、果物が実をつけていました。
子供の頭二つほどもある大きなグリーンの実、初めて見ました。
なんという名前でしょう?
なにやらマレーシア語で説明してくれますが分かりませんでした。
木から落ちないように網で木にくくり付けていました。
どんな味か食べてみたいと思うのは当然です。

そんな時、インド上陸の4日前の6月21日「フルーツ・パーティ」が屋上のプールデッキにて開催されました。
食べ放題で一人2000円。主宰は旅行社のジャパングレイスです。

テーブルに色とりどりの果物が並べてあります。参加者は写真を夢中で取っています。
それから調理人がみんなの見ている前で食べ易いように調理してくれます。
まあ、あのマレーシアの農家でみた大きな果物は皮ばかりで中身はちょっとしか有りません。
大きなお皿に食べたい果物を取り、デッキに座って食べました。
もうその頃は親しくなった友達やグループが出来ていて、それぞれ固まって「これはおいしい、これはまずい」等とおしゃべりしながら賑やかなこと。
私もいろいろ食べてみましたが、そんなに甘くておいしいと思う果物はありませんでした。良く熟しているマンゴーが一番おいしかったかな。それはすぐお皿が空になっていました。


れいの大きなフルーツは「ジャックフルーツ」といって甘みも少なく白い果実で、そんなにおいしくなかった。
ドラゴンフルーツは皮はピンクでとても美しいのでなんかとてもおいしそうに見えます。
でも、ちょっと甘酸っぱいだけでやはりそんなにおいしくない。


日本のジューシーで甘い苺や梨、リンゴに勝る果物はあまりないと思いました。
でも、初めての物を口にする時はやはりどきどきして幸せでした。





| イマムラ ヨウコ | ピースボート便り | 10:48 | comments(2) | trackbacks(0) |
ピースボート便り 第6便 「イエメン共和国の港−アデンの一日 7月1日」
イエメン前夜

 イエメンはアラビアンナイトの国。船の中では到着前から祭りが行われベリーダンスを有志で踊ったり歌ったりのイベントがありました。ベリーダンスは腰をくねくねとくねらせるセクシーな躍りで、私も練習に参加して出演し大いにたのしみました。クラッシックの自主企画では「シェーラザード」をかけてくれた。
 当局からは「くれぐれも女性は腕など肌を出さない服装にしてください。女性は目だけだした黒衣の衣装です。」との説明。うーん。アラビアンナイトの国にいくのだと心が躍る。7月1日、朝8時にアデンについた。ゴツゴツした岩だけの山々の地が迎えてくれる。海が綺麗でほっとする。
 20人くらいの青年たちが歓迎の太鼓と踊りを踊って迎えてくれる。バスが20台くらい港に勢ぞろいしていた。バスに乗って早速観光にくりだす。
 このアデンに1000人近い日本人が訪問するのだから大ニュースのようだ。テレビの取材が終日あとをつけていた。
 まず始めにシバの女王が作ったという貯水池の見学だ。今はもう水道があるから使ってない。ゴツゴツした岩をくりぬいて貯水池にし、町まで水路を作ったシバの女王はたいしたものだ。

イエメンの男性

 バスから町を見るのが楽しい。1990年にイギリスの植民地から独立したという新しい国。北イエメンと南イエメンも対立していたが今は融合してきているとのこと。車が走っているがほとんどが日本製の中古車だ。日本では考えられないようなオンボロ車が走っている。町に入ると本当に全身が黒衣の女性ばかりだ。この暑い地域でお気の毒としか思えない。ここはそんなに観光するところはない。そのあとイギリス人が作ったという国立歴史博物館に行ったが冷房もなく何にもたいした物がなく、多分いい物はみなイギリスが持ち帰ったに違いない。
 「ゆったりイエメン」のコースが午前中で終了。船で知り合った友達とその後自由行動をすることになった。

イエメンの店

 この町ただ一つのショッピングモールに入って食事をする。味のついた赤いお米やなにやら赤い鳥肉がついているのを一皿注文。ドルで3ドル。味が薄くておいしくないがお腹が空いているので何とか食べた。隣でイエメンの男性が同じ物を右手で上手にたべていた。このモールは多分アメリカ資本なのか日本にもあるものばかりで買いたいものがなにもない。仕方ないので、現地のもののジュース類を買う。側で大きなアイスクリームを食べていた父子と一緒に写真を撮った。なにかプレゼントをしたいが何も持ってこなかった。思いついて財布に入っていた日本のコインをいくつかあげたらとても喜んでくれた。その後、町中を散策。あちこちが塵だらけで汚い。道の端にもう考えても動きそうもない廃車がでんと座っている。いまに廃車のゴミの町になるのではといらぬ心配をしてしまう。子供が古びた体重計を抱えて歩いている。体重を量ってお金をもらうらしい。私たちにも勧めてきたが「ノー」といって断ってしまった。あとから測ってもらって1ドルでも上げればよかったかしらと後悔する。
 裏町の商店街に迷い込む。ピースボートに2回目の参加の中年婦人はそんな裏町が面白いと楽しんでいるが、初めての中年婦人はタオルを口にあてて臭いにしかめ面をしている。なんと、路上に使い古しのサンダルを並べて売っていた。貧富の差が激しいようだ。子供の中には裸足の子もいる。
 ここは観光地としてはまだこれから整備されていくのかお土産はなにもない。時計屋さんに入って4ドルの腕時計を買い船にタクシーで戻った。
 道に行きかう人々はとてもフレンドリーで、貧しいところも沢山見たが、物乞いやしつこい物売りがいなくて、快適な一日だった。独立して間もないイエメンのこれからの発展を心から望んだ。
 
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| 今村 洋子 | ピースボート便り | 15:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
ピースボート便り 第5便 「インドのコーチン報告 6月25日」
インド洋

 シンガポールとマレーシアを訪ねて5日間たちようやくインドの南端の港都市のコーチンに到着した。この5日間、船の中は色々な企画があり、あれもこれも参加したいとスケジュール表をみながら船内を駆け回っていました。まあ、忙しいことたらありません。でも、家事があるわけでもなし、強制されているものは何もありません。イベントとイベントの間は海を見ながら読書。パールバックの「大地」読み終わりました。高校生のときに読むべきだった世界の名作を読もうと決心したのですが、高校生のときに読んだのでは意味がわからなかったと思う。今の中国の現状をいくらか知っているこのときに読む意味をしみじみ感じつつ読みました。本当に面白かった。
 インドに向かっている中でピースボートのスタッフがインドを知るためのいろいろな企画をしてくれます。シンガポールから、インドの児童労働をなくす運動をしている日本女性とインド人男性が乗り込んで水先案内をしてくれます。
 インドの子供たちはなんと1億3千人が児童労働についているとか。その現状をスライドで紹介してくれます。見るに耐えません。小さい子供がありとあらゆる所で働いています。建設現場でレンガ運び、サトウキビ畑でキビを切り出し運ぶ、紡績工場の糸つむぎ等。可愛い私の孫たちの顔が浮かびます。孫がこんなことさせられていたらと涙が出そうになります。
 インド人の彼が訴えます。「インドは資源もあり農業も水産業もあり豊かな国です。一部の人たちに富みを集中させなければ、十分に子供たちに教育を与えることが出来ます。どうか、世界の皆さんの声で児童労働の禁止を応援してほしい。」
 一方、コーチンについては日本福祉大学の先生が講演をしてくれます。「コーチンのあるケララ州はインドでも特別な州です。母系の伝統があり女性が強くて自立している。だから、NGOのいろいろな活動があり、児童はほとんど学校に行っている。産児制限も一番進んでいる州です。一人当たりの収入は少ないが。福祉が充実しています。」ふーん。インドでも色々あるのだ。そのケララ州の中でもコーチンは貿易港としても栄えでおり裕福だとのこと。

コーチン1

 さて、このコーチンで私は島が沢山ある港をボートに乗ってクルージングするツアーに参加しました。海の水が泥水色で塵も浮かんでいてすこし臭いもします。美しいクルージングの夢は破れたのです。ガイドさんの話だと川の水が2割だとか。えっ、それだけでこんな泥色の海になるのかしら?そうだ、かつて日本の東京湾もこんな色だったのだ。ボートから海辺で生活している方たちの様子が見える。中年の男性は腰巻を捲り上げて岸辺で投網をかけて魚を取っています。若いカップルのデイト場面。女性は美しいサリー、男性は背広にズボン。一つの島に上陸、散策もしました。船から見ると美しい島ですが、上がってみるといたるところにゴミが散乱。東南アジアのこのゴミ問題、なんとかならないのかしら。

コーチン2

 さて、昼食はコーチンの街中の高級ホテルでインド料理のバイキング。さすがホテル内は塵一つありません。スパイスの効いた色々な料理。どれも美味しくて全部の料理を少しずつ食べてみました。お腹一杯でその日の夕食は食べられませんでした。イスラエル建国前にあったという、ユダヤ人が住んでいた地域を見学。そこは観光客のための商店街になっていました。しつこく物を薦められるので、またまたネックレス等買ってしまいました。ま、何はともあれ児童労働の場面や物乞いの人に会わずに済んだので、ほっとして船に戻りました。ところが、自由行動で町の中心地に行った人が「いやー、子供が二人でゴミ箱あさっている所見たよ」と話していました。
 うーん、私はインドの子供たちに何の力になれるのかしら?ま。とにかく日本に帰ったら、孫たちにこの話をしてあげようと思いました。


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| 今村 洋子 | ピースボート便り | 03:49 | comments(0) | trackbacks(2) |
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