blog index

介護ほっとステーション



自伝 そのぁ)問看護物語 夫の在宅死の経験

 自宅療養に入った最初の日、夫は行きつけだった居酒屋の鳥の焼き鳥が食べたいというのです。

私はすぐ飛んでいき事情を話して焼いていただき10串買ってきました。

3人の娘たちと夕餉のテーブルを囲みました。夫は「おいしいなあー」と言って1串だけ焼き鳥を食べました。うれしそうな顔が今でも浮かんできます。

その焼き鳥が夫が口にした最後の食べ物でした。

日に日に状態が悪化していきます。腹水がたまり、腸の動きが悪いのか水さえ飲んだ後胃から降りて行かないらしく吐き出して受け付けません。

そんな時、友人がカップに入ったアイスクリームを沢山お見舞いにくださいました。

夫は食べたいというのです。でも胃の中に入ると苦しくなるのは目に見えてます。

私は胃に入ったらカテーテルでだしてあげれば良いのではと思い至ったのです。

カテーテルを用意して夫にアイスクリームを食べさしました。

夫は「おいしいなあ、おいしいなあ」と言いながらペロリと食べるのです。

でも、食べ終わって間もなく吐き気を伴い苦しがるのです。

「お父さん、胃の中のアイスを抜いてあげるからちょっと我慢してね」

私はそう言って鼻から胃の中にカテーテルを入れアイスクリームを抜き出しました。

すると「ああ、楽になった。アイスクリーム美味しいなあ。また食べたい」

その後何度もアイスリームを食べては私がカテーテルで抜いてあげました。

夫はたぶん糖尿病にかかっていて糖分が欲しくてアイスクリームが本当に美味しかったのだと思います。

 

また、腹水がたまりお腹が張って便意があるのですが浣腸してポータブルに座っても便が降りてきません。

腹圧をかける力もないようでした。

私は大きな穴のあいた太いカテーテルを直腸に入れて泥状になっている便を太いチップスで吸い出しました。

真っ黒な水様便が出てきました。300CCくらい吸い出すことが出来ました。

夫は楽になったと大喜びでした。

 

夫は風呂に入るのが大好きでした。

自宅療養に入ってまだ歩けるうちはお風呂に何回か私の介助で入ることができましたが、すぐに寝たきりで動けなくなり

私一人では入れられません。

すると夫は男子の教え子がお見舞いに来ると「おい、風呂に入れてくれ」と頼むのです。

夫の身体を教え子の方に背中から抱えてもらい私は足を抱えて浴槽に沈めてあげました。

すると夫はうれしそうに浴槽の中で顔を洗ったり背中をタオルでこすったりして楽しんでいるのです。

 

身体全体に浮腫みが出てからは体重が重く二人だけでは抱えきれません。教え子の男子の方が二人で来てくれました。

最後の入浴は一人が背中から二人は足を一本ずつ抱えて浴槽に沈めました。

やはり、とても喜んで入浴を楽しんでいました。

その二日後、夫は意識を失いこんこんと一週間眠り続け平成60年6月11日の日が変わる23時ころ眠ったまま息を引き取りました。

不思議なことがあるのですね。その一時間前に高等学校教職員組合の役員の方々がわざわざ長野市での会合の後に「虫の知らせ」があったからと10人の先生方が我が家にお見舞いに来てくださったのです。

夫の二人の兄、私の両親、そして三人の娘たち、10人の教員の仲間たち、大勢の方々が夫の死の瞬間を立ち会ってくださりあの世に旅立ったのでした。

 

私は深い悲しみの中、自宅での看取りを心から良かったと思い、夫がこれからの私の生き方に示唆を与えてくれたに違いないと思ったのでした。

 

 

 

 

 

 

| 今村 洋子 | - | 15:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
自伝 訪問看護物語   夫が膵臓癌を発病

 夫が45歳になった時です。「腰が痛い」と訴えるようになりました。日本高等学校教職員の書記長として東京に単身赴任をして2年目になっていました。

あと1年頑張れば教職の職場復帰ができると楽しみにしていたのです。 

腰痛治療のため総合病院の整形外科病棟へ入院したと連絡がありました。

「痛みが楽になった。すぐ退院できると思う」という電話があって間もなく「血液検査の結果いろいろ検査をするそうだ」と不安そうな電話があり、私も胸騒ぎがしました。

そしてすぐ病院に来るようにと連絡があり車で上京し病院に駆けつけました。

主治医から全身のCTの写真を見せられ説明を受けました。

それは絶望的な写真でした。すい臓の尾部に丸い癌が出来ていて肝臓のあちこちに転移をしていました。すい臓の尾部のボール大の癌が脊椎を圧迫していて腰痛を起こしていたのでした。まさかの油断でした。

打つ手がなにもないことを理解した私はすぐ飯田に連れて帰る決心をしました。

車の助手席に夫を乗せて中央高速道を飯田に向かいました。

すい臓がんは診断がつくと同時に末期がんで余命2か月と言われています。

悪夢をみているようでした。夫に涙を見せられない。辛い帰路でした。当時は癌の告知はしないことが一般的でした。ましては末期がんの告知はできるわけがありません。「すこし長引く病気だから飯田の病院で治療しましょう」と夫には話ました。

夫は大好きな飯田に帰ってきて喜んでいましたがすぐに激しい腹痛と食事か喉を通らなくなってきました。

二日ほど自宅で過ごしましたが私が総婦長を務めている健和会病院の個室に入院させてもらいました。

私は有給休暇をいただき夫に付きそうことにしました。

急激にいろんな症状が出始めました。食べれられないので点滴を始めましたがお腹が張ってくるので点滴を拒否するのです。

脱水で血液が濃くなっていました。そして左半身麻痺の脳梗塞を起こしました。いや、脳に癌の転移を起こしていたのかもしれません。

でもこれは神様の贈り物だったかもしれません。膵臓癌は左上腹部に激しい痛みを起こすのですがその痛みが消えていたのです。

そして、少し客観的に物事を判断する能力が衰えていました。

半身麻痺で歩くことが出来ないのに「電話です」と連絡が入ると「俺が出る」といって起き上がろうとするのです。

当時は携帯電話などありません。全国の高等学校教職組合の方々からひっきりなしに電話がかかってくるのでした。

そのたびに看護婦の詰め所の電話に駆けつけるのでした。

やがて余命一ヶ月などとの話が広がって組み合いの役員の先生方や地元の教員のお見舞いが押し寄せるようになりました。

遠方から来てくださった方に夫と話しも出来すお茶の一つも出せない病室の療養生活に困りました。

私は夫の最後を自宅で過ごしてもらう決心をしました。幸い私は看護師だし、自宅は病院から歩いて5分の所で毎日の往診も可能でした。主治医もその選択に賛成してくれました。

夫は病気が軽快してきているので退院できるのだと思ったらしく大喜びでした。

そして、入院生活2週間を経て自宅での療養生活に移って行きました。

 

 

 

 

 

 

| 今村 洋子 | - | 16:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
自伝 訪問看護師物語 いつも頭によぎる人が訪問看護の道へ

 私はなにかの折りにふっと頭によぎる人がいる。

彼を思い出すと深い後悔にさいなまれるのだ。

私は32歳の若さで24床の消化器外科の病院の看護師長になった。

昭和48年12月に開業した田島病院。院長が外科医の腕が評判で胃潰瘍・胃がん・大腸がんなどの手術患者でいつも満床だった。

 

伊坪さんは開業2年後に入院してきた。彼は70歳で胃がんの診断がついたが受診したときはすでに肝臓や腹膜に転移をしており、すぐ入院となった。がんの痛みの対応が必要になっていた。麻薬の注射を一日4回ほど打って後は水分補給の点滴をするだけの入院生活であった。

戦前彼と妻は小学校の教師だったが長野県教師の赤狩りにあい仕事を失い小さな山村で新聞配達の仕事で生活してきた。

夫婦で力を合わせ困難な時期を乗りきり、地域の様々な活動を先頭切って行ってきて皆に信用され愛されていた。

知性溢れる夫妻を私も心から尊敬していた。

その彼が時々訪室する私に「婦長さん 一生のお願いです。私を自宅へ返してください。痛みも我慢します。すぐ死んでもかまいません。なんとか退院させてください。家に帰りたいのです」と訴えてくるのである。

婦長の立場だったら何とかしてもらえるのでは彼は考えているようだった。

しかし、昭和50年当時は麻薬は筋肉注射しか方法がなかった。妻も痛みがおきたときの不安から自宅へ連れて帰るとは言えなかったのだ。

予想より永い入院生活になった。悲しそうな顔で訴えていた彼に一日でも良いからどうして家へ帰してあげることが出来なかったのかと深い後悔に胸が締め付けられるのだ。私には当時は在宅医療や在宅死などは想像もできなかったのだ。

病院で親切な看護と適切な医療を提供して最後を送ってもらうことが最善の方法と疑うこともなかった。

彼の顔が頭によぎるようになったのは、私の夫が45歳ですい臓がんで他界してからだ。

 

 いろいろな条件がそろい夫は終末を自宅で2カ月ほど過ごし自宅で多くの人々に見守られながら亡くなった。

その在宅ターミナル、在宅死の経験は私の考えを根本から考えなおせざるをえなかった。

42歳で3人の娘のシングルマザーになった私は深い悲しみの中で夫に良い死に方をさせることが出来たとどこかに心安らぐ思いを持つことができた。

その時、伊坪さんのあの終末を自宅で過ごしたい思いが痛いほど理解できた。

時々彼の悲しみに満ちた顔を思い出すようになった。

 そして、私はある決心をした。在宅で過ごす病人の看護を提供する仕事に就くことが私の目標になった。

 

 

 

 

 

 

| 今村 洋子 | 小説 | 13:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
小説  訪問看護師物語 「わしは今が一番幸せな」 

 「わしはなあー今が一番幸せな。」

まだ70歳を過ぎたばかりで寝たきりになり、臀部に床ずれが出来ているナミさんがボソッと言った。

「なあ、先生。人は不幸になる人はとことん不幸になるものだなあー」

訪問看護師である私にいつの間にか「先生」と呼んでくれるようになったナマさんが天井を見たまま話しを続ける。

「わしは14歳の時に続いて両親を亡くしたんな。母親は働き過ぎで脳出血で死んでその2年後に林業をしていた父親が木から落ちて死んでしまい、わしは二人の小さい妹を抱えて子守りをしたり農作業を手伝ったりして何とか生きのびたんな。」

ナミさんの訪問看護処置を終えて鞄の整理をしていた私は手を止めてまじまじと彼女の顔を見た。

71歳とはとても見えず肥満顔にシミと皺があり80歳くらいの老婆にみえる。

ナミさんの訪問看護は午後3時から1時間に設定されていた。3時5分前についた私をナミさんは首を長くして待っていた。

私の顔をみるとナミさんは顔いっぱいに笑顔を見せてうれしそうに迎えてくれた。

「困ったことはなかったですか?」との私の問いに

「うん。だんだん元気になってきとるに。だけど今朝から腹が張って苦しい」

「そう、すぐ便を出してあげるからね」

ナミさんは日中は一人。寝たきりになってずーと便秘をしているがへたに下剤をかけると不随意に排便があると始末が出来ず困るので週3回の訪問看護で浣腸して出してあげることにしている。

まずはバイタルサインの測定。血圧が少しずつ下がってきている。

初回訪問時上の血圧が180もあって驚いた。

今は主治医から降圧剤が出され少しずつ安定してきている。

まずは便をだしてあげることにする。

身体を横にして少し温めた浣腸液を肛門から注入する。

しばらくするとそれだけですこしお腹に力を入れてもらうだけで排出することもあるが、たいていは直腸の先に降りてきている硬い便を手でかきだしてあげないと出でこない。

その行為を敵便という。

「敵便するね」と声かけしてゴム手の先にゼリーを塗って肛門に手を入れる。硬くなった便が詰まっている。

片手もり一杯くらいを掻き出すとあとは柔らかい便がスルリと多量に出てきた。

「うーん。とても良い便よ」を声をかける。

「ああー。気持ち良くなった。先生ありがとうね。」

それから微温湯で陰部をきれいに洗い、横になったままで床ずれの処置をして新しいオムツを充てる。

床ずれはもうほとんど治癒しかかっている。

なによりエヤーマットが効果を発揮している。

ありがたい。と私はいつも思う。介護保険制度前は効果的エアーマットがなくまた家族が購入しないと手に入らず、10万円近くしたエアーマットを購入してくれる家族はいなかった。みるみるうちに床ずれが悪くなる人が多かった。介護保険はエアーマットを月600円くらいのリースで貸し出してくれる。エアーマットの普及で床ずれが激減した。

「床ずれもほとんど良くなったから、もうじき訪問入浴に来てもらってお風呂に入れるからね」

入浴ができるまでは全身の清拭をすることになっていて熱いお湯を台所から持ってきて全身清拭をして寝間着の着替えをする。

ここまでやって1時間少しかかるが時間が伸びた分はサービスにしている。

オムツ交換にヘルパーさんに入ってもらっていてこれ以上は介護保険が使えない。

ナミさんが不幸になる人はとことん不幸になるもんだと話しかけてくれた話を聞くことにした。

今日はもうナミさんで訪問は最後。時間を気にしなくてすむ。

 

「それでなあ。妹たちがみんな自立してからわしは人の世話で結婚したんな。そして男の子が生まれてなあ。うれしかったなあ。やっとわしにも幸せが来たとおもったのだけど、その子が少し知恵遅れとわかってなあ。舅や姑にいびられた。

その子が3歳の時夫が癌にかかってあっという間に死んでしまって。息子をかわいがってくれた優しい夫だったんな。それで息子を連れてその家を出てな。またまた苦労の連続。」

「わしは病気になって初めて皆さんにこんなに親切にしてもらって、本当に今が一番幸せな」

「先生、今度はいつ来てくれるの?」

 

私は言葉が出ない。胸が詰まって涙が出そうになる。

不幸になる人はとことん不幸になるなんて本当にあるのだ。

私は3人の娘を抱えて42歳の時45歳の夫をすい臓がんで亡くした。

自分はなんて不幸だろうとおもったけど、経済的には仕事を持っていたし、死亡保険や遺族年金で裕福になった。回りの人がみんな親切にしてくれた。そのうち自然に悲しみが消えていた。

 

ナミさんの知的障害の息子はちゃんと作業所で働いている。朝ナミさんのためにおにぎりを握って枕元に置いていく。

「今度は来週の月曜日に来ます。ちょっと間が2日あるからお腹がはるかな?食べ物をちょっと減らしてみてね。」

「うん。先生待ってるでね。頼むな。」うれしそうな笑顔が返ってくる。

 

ああ、訪問看護ステーションを開設してよかったなあ。亡き夫が応援していると確信する。

 

 

 

 ブログ再開します。来年77歳を迎える今村洋子の終活です。訪問看護の体験を小説にしてみることにしました。良かったら時々訪ねてください。

コメントで意見も聞かせてください。

 

 

 

| 今村 洋子 | 小説 | 14:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
パソコン大嫌いー新年早々大騒ぎ

  おせち料理を盗み食いするパフェーちゃん

 

 年末年始娘たちの家族が入れ替わり滞在。スキーに行ったり温泉に行ったり美味しい物を食べに行ったり賑やかに過ごしていました。いささか疲労気味なのは年のせいで仕方ありません。そんな中私は1月5日の午後3時間の介護職員初任者研修で「老化の理解」の講義をすることになっていました。

いつもパワーポイントに講義内容を入れてそれを使って講義をしています。4日の午前中は動いていたパソコンが午後パソコンに電源を入ると画面がパッと映ったと思ったらプッンと音がして画面が消えてしまします。何度やっても同じです。

エッー。私はパニックになりました。明日の講義が出来ない。

私はパソコンをもってすぐ購入した電気店に直行。まだお正月気分でお店はお客さんでごった返してました。

若い定員が丁寧に対応してくれました。まずアダプターの電気が通ってないか調べてくれました。異常なしです。

本体からバッテリーを取り出して調べてくれ、これも異常なし。そして何度も電源を入れパソコンが立ち上がるか試してくれました。

全然立ち上がりません。

店員いわく「これは本体が壊れています。メーカーに送って修理してもらうとして約1週間くらいかかり約5万円ほどかかると思います。パソコンは5年が寿命です。このさい新しいパソコンになさったほうが良いと思います」

 

ちょうどこのパソコンは購入して5年たっていました。

私の顔は真っ青になっていました。

明日の講義に間に合わすには一刻も猶予がありません。

すぐ新しいパソコンを購入し初期設定の方法を教えてもらい家に帰りました。

3時間分の講義内容をパワーポイントに急いで入れなおすより方法がありません。講義のキャンセルは社会的責任上許されません。

この時ほどユーエスビーにとりこんでないことを後悔したことはありません。

新しいパソコンの初期設定は教えてもらったようにはいきません。しかたがないのでいつもパソコンでお世話になっている友人MさんにSOS。

彼がすぐ飛んできてくれ初期設定をしてくださりすぐ講義内容をパワーポイントに入力し始めました。

5日の12時までかかって何とか間に合わすことが出来ました。

 

ところが5日の夕方です。古い私のパソコンを調べてみると持って行ってくれたMさんから「試しに僕のアダプターで接続してみたらちゃんと立ち上がりますよ」

エッー。私はまたパニック。

なんで―。むらむらと電気店の定員に怒り心頭。

結局アダプターが壊れていたのだけど壊れてないと嘘をついて新しいパソコンを買わせたに違いない。

私は抗議にいって新しいパソコンを引き取ってもらうと思いました。Mさんから戻ってきた私のパソコンに元のアダプターを試しに繋いでみました。ところがです。今度はパソコンが立ち上がるのです。

エッー、どういうこと。アダプターが故障していないかったのだ。どういうこと?

私はまたもパニック。店に抗議に行こうと思っていた出鼻がくじかれたのです。

もう、本当にパソコン大嫌い。わけがわからない。

 

皆さん何が起こっていたか想像できますか?

結論。いろいろいじっているうちにアダプターとパソコンの差込口が差込み方によって電源がつながったり、つながらなかったりしていたことがわかりました。

アダプターの差込口が少し傷んでいたのですね。それでうまくつながってない時間が長くあってバッテリーにも充電されてなかったのです。

原因がわかって電気店店員の対応にもミスがないといえばいえるので怒鳴り込みは中止。でも納得いかず話に行きました。

電気店の責任者は判断ミスといえばミスなので購入されたパソコンは引き取りますと言ってくれました。

でも、5年たったパソコンはもう買い替えの時期ですと言われ結局購入することにしました。

でも、2台もノートパソコンあってもしょうがないよね。

もう、本当にパソコン騒動で疲れた。パソコン大嫌い。

 

 

 

 

| 今村 洋子 | - | 15:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
認知症が怖いー予防のため卓球に励んでます

 ほとんど70歳過ぎている卓球仲間

 

 ご無沙汰してました。

ブログの更新がないからと健康を心配して下さった友人がいましたが元気元気。

毎日卓球に励んでます。

 

なにが一番怖いかというと認知症になること。

来年75歳。回りの友人にぼちぼちと認知症を発病された方が目につくようになりました。「えっーあの方が?」予防に良いというような生活をされていた方もいます。

認知症になればやはり人の世話を受けねばならず、家族に迷惑をかけます。だから一番なりたくない病気です。

だけど今の状況では認知症予防の本当の決め手はないように思います。遺伝子の問題もあるようですから。

だから今は予防に良いといわれていることをなんでもやってみるより方法がありません。

 

卓球といってもラージボール卓球です。高齢者にも出来てるように少し玉が大きくあまり飛ばないようになってます。

高齢の人に流行しているようです。運動になり、人のふれあいになり、ダブルス試合をすると頭も使い勝っても負けてもよく皆で笑います。

総合的に考えるとこんなに認知症予防に良いスポーツはないと思います。

そんなわけで私は4つの卓球クラブに入ってほとんど毎日午前中は卓球をしています。

 

報告するつもりだった「読書会」も続けてます。

また、気が乗ったら報告しますね。最近感動した本は

伊藤淳著 「父・伊藤 律ーある家族の戦後」講談社刊行

福田 ますみ著 「モンスターマザー」−長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い 新潮社刊行

 

| 今村 洋子 | - | 21:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
カラマーゾフの兄弟の一部を読みましたー若い時に読むべきだった

飯田市坐光寺にある「舞台桜」−珍しく上手に写真が撮れました

5月1日 読書カフェ報告 参加者4人 飯田図書館にて

 この日読書カフェに参加したおばさんたち。この世界的な名著「カラマーゾフの兄弟」を誰も読んだことがないとのこと。ところが私ときたらいつか読もういつか読もうとなんと50年近く本棚でページが開かれる日を待ち望んでいる河出書房発行の世界文学全集に「カラマーゾフの兄弟」があったのでした。

斉藤孝さんの紹介している部分は第2部第4編「錯乱」というところです。

貧しい退役軍人がカラマーゾフの兄弟から理由なく侮辱され暴行をうけ彼の子ともたちもいじめを受けるのです。
その侮辱したカラマーゾフの別の兄弟が謝罪のため経済的援助を申し入れるのです。
喉から手が出るほど欲しいお金を迷った挙句断るのです。
「人は誇りなくしては生きていけない。子供の信頼を大事にして卑しい男になりたくない」と。きっぱり援助を断ったおとうさん。
ほんと素敵。感動しました。

著者ドストエフスキーは人の心の奥底に渦巻くものを掘り下げ、人間の複雑さを徹底的に描き出した作家だと斉藤さんは紹介し、全編を読み進めることを期待すると結んでいる。

読んだことのある私の孫いわく。「とても深い小説だ。もう一度読みたいと思っている本だけどかなり力をいれて覚悟して読む必要があるよ」とのこと。

私も早速本棚から取り出して初めて「カラマーゾフの兄弟」のページを開いた。
紙は少し茶色に変質している。わあー。この小さな文字とびっしり詰まった行間。
昔それでもこの世界文学全集の中の「ジャン・クリストフ」とか「嵐が丘」などいくつか読んでいたがよくもまあこんな小さな文字の本を読んだこと。
74歳になった老婆の読める本ではないなあー。若い時に読んでおくべき本だったと後悔。

読書カフェに参加した他のおばさんたちも口をそろえて「もうそんな大作読む気力がない、それよりもっと今読んでおかなければならない本が次から次と出てきてそれも読みおおせないなあ」と口をそろえての感想。

今回の読書カフェは紹介してくれる本はありませんでした。というより皆それぞれ忙しくて読み切った本がなかったとのこと。次回の集まりを期待。


 
| 今村 洋子 | - | 13:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
デカルトを読みましたー道を決めたらまっすぐに行けと
JUGEMテーマ:読書
 



第三回の読書カフェ報告

平成28年4月3日 午後2時より 飯田市図書館にて 参加者4人

読み合わせ
斉藤孝著「理想の国語教科書」第2回目の読み合わせ。
「さてどこを読もうか?」「一番短いところにしょう」とみんなで意見一致。
デカルト著「方法序説」の第3部と4部になりました。
えっ。デカルトって誰?
フランスの16世紀に活躍した数学者で哲学者でした。
「われ思う、ゆえにわれあり」といった人。そういえばどこかで聞いたことあるなあ。


デカルト著「方法序説 第3部」
「自分の行動において一度その方向に決めた以上はたいした理由もなしにその方向を変えてはいけない」
森の中で道に迷った旅人はあちこち行ってはいけない。同じ方角に向かって真っすぐ歩くととにかく最後はどこかに行きつくと。
  


デカルト著「方法序説 第4部」
「私は考える。ゆえに私は存在する」という文章が出てきます。
この言葉が17世紀キリスト教の教えで神がすべての時代に近代的自我の出発点だと言われているそうです。

なんか哲学は難しいなあ。でも哲学とは情報や知識ではなく、現実的な思考のワザで、知と理性を愛して生きることだとのこと。
そして、著者はいま心に不安を持っている人はこのデカルトの哲学を読むと良いと結んであります。

もう一つ時間があったのでやはり短い文章を探して読みました。


坂本竜馬が姉にあてた手紙
竜馬は姉乙女に沢山手紙をだしていたことは聞いていました。
姉がそれらの手紙を大切に保存していたから現在竜馬の思想や人柄が手に取るようにわかるそうで第一級の史料だそうです。
竜馬の手紙は話し言葉のようで竜馬の肉声が伝わってくるようです。
その手紙の中に「日本を今一度洗濯をしたい」と書かれています。日本の行くべき道を考えていたのですね。
なんか竜馬にとても親近感をもちました。しかし、メールが普及し手紙文化が消失してきている現代。こんな素敵な手紙が残されることはなくなるのでしょうね。文明が発達するばかりが良いわけがないなあー。


読書紹介

Kさんより
なんにし礼著「闘う力」

食道癌が陽子線治療で治癒して元気に活動されていた礼さん。食道に新たな癌ができたのです。
絶望的な状況で死を覚悟した礼さん。またまた凄い治療と闘病で生還されたのですね。
その一部始終がとてもわかり易い語り口で書いてあるのがこの本です。
現在の癌治療の最先端事情がよく分かりました。


私の紹介した本
堀米ゆず子著「ヴァイオリストの領分」

この本はゆず子さんの親戚だといつも話てくれていたお隣さんが紹介してくれ貸してくださいました。
彼女は世界をまたにかけて演奏している有名なソロのヴァイオリスト。
先日世界が震撼したテロを受けたベルギーのブルッセルに住んでいるのです。
ベルギーの方と結婚し二人の子供さんのお母さん。
彼女はブルッセルでの音楽大学講師をしながら世界各国で演奏活動をし、二人の子供さんを育てました。
この本はそれらの生活を紹介してくださるエッセイ集です。
子供さんとはいつでも一緒に居たいと生まれて3か月ばかりの子供さんを連れて演奏旅行に出かけたとか。
凄い人、そしてなんとエネルギーに溢れ人生で欲しいものをすべて手に入れた幸せな人と思わずにいられません。
でも、それには彼女の弛みない努力があるからこそ。この本は購入して手元に置くことにしました。
だって、どこを開いて読んでも楽しいのです。音楽のことも各地訪問先の国のこともとても勉強になります。


なんと7月24日飯田のホームタウンコンサートに来てくれます。私は彼女の演奏を聴くのは4回目。楽しみです。
次回 読書カフェ 5月1日 午後2時より 飯田図書館にて











 
| 今村 洋子 | - | 16:40 | comments(1) | trackbacks(0) |
素晴らしいー福沢諭吉の「学問のすすめ」

「読書カフェ」報告その (神28年3月6日 飯田図書館にて




 先月ついに74才になりました。ウソ―。自覚のない私です。今シーズンはすでに一泊二日のスキーに二回も行ってきました。白馬と志賀高原。どちらも雪質良くガラガラのスキー場で大暴れして大満足してきました。転んで骨折でもすると年も考えずにと言われること間違いなし。

さて、新しいテーマでブログ再開することにしました。
リタイヤした女友達とで「読書カフェ」を月一回開催することにしたのです。
その内容をブログで発信させてもらいます。

読書カフェの目的は毎日暇になったリタイアの熟女たち、時間があるのに若いころに比べ昔ほど読書していないことに気が付いたのです。意識的に読書しなくてはあっという間に人生の終わりが来てしまうかも。もったいない、もったいない。死ぬまでに一冊でも面白い本を読んでおこう。そして読書カフェで自分の読んだ本を報告したり、読みたい本を貸し借りしよう。皆で読みたい本を決めて少しずつに読み合わせをしようということになりました。

第一回は6人あつまり読んだ本を持ち寄り報告しあったり貸し借りをしあいました。
そして、
斎藤孝著「理想の国語教科書」を全員購入して少しずつ読み合うことに決定。

読み合わせ
第二回目の読書カフエ。最初に福沢諭吉の「学問のすすめ」を紹介してるところを選択読み合わせしました。
ここには3篇紹介し、解説してあります。
まったくあきれてしまうよね。私は74才になるまで福沢諭吉については「学問のすすめ」−天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
これしか知らず、学問のすすめなのになぜ「天は人の上に」なのか疑問も持たずにいたのでした。
分かりました。この後にこう続くのです。


初編「学問の必要」
人は皆平等に生まれてくるのに貧富の差や賢人や愚人ができる。その差が生まれるのは学問を得てるかで決まるのだと。だから学問をすすめるとこうくるのですね。なるほど。全くその通りで納得ー。
安部首相是非もう一度この文を読んでください。貧困の連鎖を断ち切るのは子供たちに貧困から抜け出せるように平等に教育を与える政治にしてください。


第5編には「文明の根本は人民独立の気力にあり」
ここには人は独立心をもって生きよと。外国の文明に恐れず競う独立精神を持とう。
うん。そうだ。安部さんアメリカの言うことばかり聞かず普天間基地などさっさと閉鎖させよう。辺野古へ持ってくるなんてとんでもない。日本は独立精神をもって戦おうよ。


第17編「交際を広く求ること」
この編では人として人を毛嫌いせず広く多くの人と付き合いなさいと書いてある。
世間に知人友人が多いのはさしあたって便利であると。
その通り。嬉しいな。現在私は毎日なにやかやと趣味や平和運動等で忙しい。沢山友達がいる。福沢諭吉先生に褒められているような気分でこの文章を読んだ。

最後に著者の斎藤孝はこの「学問のすすめ」は現代でちゃんと読んだ人は少ない。明治の人々がこぞって読んだ大ベストセラーだった。多くの国民がより良い生き方と公共的使命感を共有していた。もっとこの「学問のすすめ」を若いひとによんで欲しいとむすんである。
そうだ。「学問のすすめ」は是非教科書で取り上げるべきだ。なんちゃって。少しかじっただけで生意気な私です。

読書報告
Sさんは図書館で借りて読んだという
三浦英之著「五色の虹」について報告してくださいました。
これはノンフィクション。戦前満州に「満州建国大学」という大学があってなんと日本、ロシア、モンゴル、中国、朝鮮の青年たちが机を一緒にして学問をうけていたのです。8年間続いたとのこと。その卒業生の戦後の生き様を現在生きているひとを探し出し取材した内容です。知らなかったなあ。本当にまだまだ知らないことが沢山あるのですね。

Kさんは
斎藤孝著「自伝を読む」を紹介してくれました。「自伝こそ本の中の本である」と著者は言い、ヘレン・ケラー チャップリン 高峰秀子 宇野千代 フランクリンなど14人の人の自伝の要旨を紹介してある本です。
私はこの中だただ一つ宇野千代の「生きていく私」を読んだことがあります。
率直に自分の生きてきた道を書いてあり感銘を受けました。
私はこの本をKさんから次の読書カフェまでお借りしました。楽しみに読みます。

私は
カズオ・イシグロ著「わたしたちが孤児だったころ」を紹介しました。カズオ・イシグロ作家のことに興味があって読んでみたいなあと思っていました。たまたま訪ねた友人が持っていて貸してくれました。
これは小説です。上海に住んでいたイギリス人の家族に起きた事件。10歳の一人息子が父親 母親と次々と失踪して孤児になります。イギリスの伯母に引き取られ成長した彼は探偵になり、上海に戻り両親を探すのです。
結末には驚かされます。でも私は戦前イギリスの租界だった上海で日本軍が国民党と戦争している様子などが描かれていてとても興味を持ちました。


次回は4月3日 午後2時より 飯田図書館にて 興味のある方参加歓迎
| 今村 洋子 | - | 10:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
もう一度南アフリカのこと報告して旅行記は終了します

南アフリカのペンギンコロニー

 アフリカの中でも最貧国であるモザンビークを後にしてあのマンデラが大統領になった南アフリカのケープタウンに着きました。
船の中でアパルトヘイトから平等で平和の国に移行していった南アフリカの経過を講演で聴くことが出来ました。

なんと事実は小説より面白いのですね。マンデラに国の政治を渡すことになった白人最後の大統領と何度も何度も話し合いがもたれたそうです。しかし牢獄に入っているマンデラを車に乗せて大統領官邸に連れてくるとマスコミに知られてします。秘密理に話し合うために何と牢獄から大統領府までトンネルを掘って行き来したとのこと。

マンデラは「憎しみからは何も生まれない」との信念で今まで差別して苦しめられた白人を報復しないとの約束で大統領になりました。そんな事情でしょう、モザンビークは農場がなく道路脇の大地がほとんど草原でしたが南アフリカに入ると綺麗に手入れされた大農場が続いていて「ほっ」としたのでした。
しかし、回りの壊れた国々から密入国してくる人々が多くてその人たちによる強盗殺人が頻発。大変治安が悪くなっているとのこと。そして警察官も大勢命を落としているそうです。なんということでしょう。

ケープタウンの町は整備された公園や海辺が続き本当に素敵な都市でした。
私は喜望峰に行くツアーを選びました。その喜望峰の回りは自然保護がされていて車の中からなんとマントヒヒやダチョウなどを見ることができました。



南アフリカのドライブインの庭で椅子に座っている女性たち

 私たちがモザンビークから南アフリカに入ってすぐ大きなドライブインで一時間ほど休憩をしました。なにせやっと綺麗なトイレに出会い大勢利用しました。このドライブインはモザンビークから入ってくるトラックや自家用車が一休みする道の駅のような役目をしているようでした。お店には飲み物や食べ物も沢山売っていました。
そのドライブインの回りは大きな木影があちこちにありました。そこに椅子に座って楽しそうにお喋りをしている女性たちが10数人いました。
とても明るくフレンドリーなのです。言葉は通じないけど私たちは一緒に写真を撮らせてもらいました。
アパルトヘイトがなくなって皆さん幸せなんだと脳天気に感動したのですが、後からあの女性たちはあのドライブインにずーと椅子に座っていて何をしていたのか、何を待っていたのか、旅行の途中の様子でもなくてとても気になりだしたのです。
私には答えが出せませんでした。
それで、もう一年以上になる休止していたブログを発信できませんでした。


このあとの旅行記はもう書きません。
南アメリカに入ってはあちこちにすんでいる日本人の人たちのこと。ガタルカナル島や硫黄島で戦死した大勢の青年のこと。
なんかもう辛くなることが多くてついついブログほったらかしにしてしまいました。
ごめんなさい。その代り次回から新しいテーマでブログ発信することにしました。

それは読書のこと。
もう、私にはあまり時間がない。友人と一緒に意識的に読書することにしました。ひと月に一回開催予定の「読書カフエ」の様子を報告していきます。乞うご期待。





 
| 今村 洋子 | - | 15:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< July 2019 >>
おしゃべり広場掲示板
≪おしゃべり広場−入口−≫
掲示板への書き込みは現在休止しておりますが、過去の記事はご覧いただけます。洋子さんへのメッセージ、ご質問はブログのコメント欄へお願いいたします。
アウトリーチから
≪あなたもブログをつくりませんか≫ 今話題のニューメディア、ブログで情報発信したいけれど…、「技術的に自信がない、時間の余裕がなくて管理ができない」という方に、アウトリーチがブログ作製・管理のお手伝いをいたします。まずはメールで気軽にお問い合わせください。
【メールはこちらをクリック!】

『チャレンジドZAKKYのバリアフリー探検記!』
アウトリーチの当事者スタッフが書いているブログです。彼女が皆さまのブログをサポートします。


bolg index このページの先頭へ